JOURNAL

NAGIEの商品に込められた思いや具体的な取り組みなどをお伝えしていきます。


<font size ="2">NAGIEジャーナルVOL.10 山田翔太さん </font><br><font size = "2">一寸先は"光"、力を抜いて『ゆだねる』事で自然と良い方向に向かっていく。</font>
No.10 山田 翔太さん/アスリート陶芸家 NAGIEを応援して下さる皆さまに、自身の“サステナブルライフ”について伺うインタビューシリーズ。第10回目は、アスリート陶芸家として唯一無二のライフスタイルを体現しておられる、山田翔太さんの“サステナブルライフ”に迫ります。 --------------------------------------------------------------------------------------------- 山田 翔太(やまだしょうた)アスリート陶芸家として活動。10代から陶芸を始め、都内にて作陶。遠州流茶道で茶の湯の世界を学ぶ。茶道具を中心としたうつわを制作し、銀座靖山画廊所属、百貨店で個展を開催。ラグビー、トライアスロン、ヨガなどのスポーツを通じて感じた「美意識」を、うつわに表現する独自の世界観を持ち、lululemonのアンバサダーとして、スポーツの世界とアートの世界をつなぐ活動をしている。またフランスなど海外でも個展や茶会を開催。 Official Website:https://ya-ma-shou.com/ Instagram:https://www.instagram.com/shotayamada14/ --------------------------------------------------------------------------------------------- 1.大切なのはどんな事に対しても力を抜いてゆだねる事、それが自分の中の最大のパフォーマンスを引き出す ・アスリート陶芸家という唯一無二の肩書きをお持ちの山田さんですが、陶芸との出会いやここまで陶芸を続けこられている理由やモチベーションは何なのでしょうか。 陶芸との出会いは高校の授業でした。その当時の先生が丁寧に教えてくれた事もあり、陶の道に目覚めました。でもそれ以降は誰かに教わる事はしておらず、独学で続けています。 僕自身の中では陶芸を一生懸命続けているという感覚は無く、ただ作っている時の居心地と感覚が良いので続けています。現在は個展などの活動もさせて頂いておりますが、続けている理由は高校生の当時と変わらなくて、今までただ楽しくて続けてきたものが少しずつ評価いただきカタチとなり大きくなってきているという感覚ですね。 また私の作るお茶碗に描かれる景色は、釉薬が器に沿って流れ落ち、本焼きの火観の強さや釉薬の濃さによって変わる為、偶然性の強い景色が出来上がります。こうして出来上がった景色は、見る人によって富士山に見えたり動物に見えたりとその人の辿ってきた人生や感性、美意識の違いで変わってきます。これを「見立ての世界」と言うのですが、僕はこの世界観に陶芸の面白さを感じています。       ・学生時代から続けられている陶芸に加え、現在はトライアスロンやトレイルランなどアスリートとしての一面も持たれておりますね。一見、全く異なる世界とも感じるのですが、これらの両立を通して気づかれた事や大切にしている事はありますか。 作陶している時、自分の感情が波打っている状態で器を成形しようとすると、それが土にも影響を与えてしまいます。そして何とか形を作ろうと力を入れても中々良いものは出来ず、身体も疲弊してしまいます。陶芸に於いて大事な事は”軸”をとるという事です。ろくろには中心の軸があって、しっかりと中心の軸がとれている時は、土が回転している事が分からないくらい揺れがなく綺麗な状態です。その時は、力を抜いてリラックスした状態で作れ、とても良い作品に出来上がります。 この事はスポーツにも通ずる点だと思います。たとえば、ランニングをしている時にも自分のフォームを気にし過ぎて走っている時は体に力が入り疲れるのも早く、良いパフォーマンスには繋がりません。自分の居心地の良いリラックスした状態で走っている時が一番良い結果に繋がると感じます。 僕は陶芸に於いてもスポーツに於いても、軸をとる為の準備をしっかりとし、実際に器を作る時や競技を行う時には、こうしようとか上手くやろうとかは考えずに力を抜いて「ゆだねる」という事を大切にしています。  2. 一寸先は”光”、先の事は考えず今に全力を尽くす事で、自然と良い方向に向かっていく    ・学生生活を終えられた後就職されておりますね。また現在もアスリート陶芸家の傍ら会社員として勤められておりますが、陶芸家やアスリートへ専念するという事は当時お考えになられなかったのでしょうか。 僕にとっての陶芸は楽しんで取り組むものだったので、それを仕事にするという感覚が当時は無かったですね。2018年から個展を開いているのですが、当時はフルタイムの会社員と陶芸家を両立していました。現在は会社の方々の協力や支援もあって、「文化人×会社員」という働き方で勤務しています。個展を始めた2018年や2019年頃は、よく周囲の方々から「アーティスト1本にしないと成功しない」と言われていました。僕自身も陶芸をはじめアートの世界が厳しい事は理解していたので、そういった周囲の言葉に揺さぶられた時期もありました。しか改めて冷静に考えた時に、周りにはアーティストとして活動している傍ら生計を立てる為にアルバイトをしている方々も多く、自分はそういった環境を変えていきたいと考えるようになりました。 それからは、今僕が見ている世界は「まだ誰も見たことが無い世界」という感覚があるため、自分の軸そして環境を大切にして生きています。 ・会社員としてアスリート陶芸家として、誰もが見たことない世界を進んでおられますが、何か今後の展開等を考えておられたりするのでしょうか。 僕は明確なビジョンやゴールを持たず生きています。そのため半年先の自分がどうなっているかも見えていない状態です。しかし「一寸先は闇」では無く、「一寸先は光」だと思っています。なぜなら見えないことが楽しくて面白いのであり、先が見えていたら面白くないと感じるからです。それは、自分が40歳、50歳になった時の姿が想像できてしまう事や、ビジョンを立ててしまうとそれに向かおうと今の自分をコントロールしてしまう事に繋がってしまいます。自分をコントロールするという事は力が入ってしまい良いパフォーマンスが出来なくなる事なので、僕はその時の流れに「ゆだねる」ことを大切にし、その一瞬一瞬に意識を持ち全力でやる。そうする事で自然と良い方向に進んでいくと考えています。 3.1点物に囲まれた生活の豊かさを伝えていきたい ・今の社会は、多くのモノとコトに溢れる中でSDGsやサステナブルなど地球人として取り組まなければいけない様々な課題もありますが、人々の生活も地球環境もより良い方向に向かっていくために、アスリート陶芸家として伝えていかれたい事はありますでしょうか。 1点モノの素晴らしさ、1点モノに囲まれた生活の素晴らしさを知って頂きたいです。僕は自分の作品を選んでいただいた方に、作品を孫の代まで繋いで欲しいという願いで制作しています。孫の代まで繋ぐ為には、大切に扱わなければなりません。私たち以上の世代が、モノを大切に扱う姿を自分の子供や将来の孫に見せていく事で、子供たちもその思いを継承し受け継いでいきます。 こうして一人一人が物を大切に長く使っていく事で無駄な消費や廃棄を減らす事に繋がっていきます。僕は長く大切に使って頂ける物の特徴として、作り手の顔が見えるモノ、モノ作りの背景やストーリーが見えるものであることが大切だと感じています。例えばお茶碗一つ手にとっても、そのお茶碗を作った作り手の顔が見え、たとえば作り手と会話した内容や手に入れた時のワクワクした感情などを手に取る度に感じ取れれば、普段の生活がより豊かになっていきます。1点モノに囲まれた生活の楽しさを知っていただければ、人々の物の選び方や消費習慣の変化にも繋がっていくと思っています。 ・NAGIEも限定受注生産という形を通して、お客様に洋服が出来るまでの過程やこだわりを知って頂ける機会を提供し、現在の大量生産で販売されている洋服が当たり前では無い事を伝えています。今後、NAGIEと一緒にチャレンジしていきたい事などはありますでしょうか。 NAGIEの洋服は僕も日頃から愛用していていろんな所で着ています。最近は自分のお茶碗を持って、山頂や屋外などカジュアルな場所でお茶を点てたりする機会も多いので、きっちりとしたシルエットで且つアスリート目線で動きやすさや機能性が備わっているNAGIEの洋服はとても使いやすく、他のブランドには中々無い特徴だと思っています。ですので、NAGIEの特徴を活かしたトレイルラン等のスポーティーなイベントをやってみたいですね。あとは、僕の作ったお茶碗を包む布や包装して携帯できる巾着の様な商品を洋服の端材から作れれば、お客様にお茶碗をお渡しする時のストーリーがさらに加わってより良い1点モノになるかもしれませんね。     
<font size ="2">NAGIEジャーナルVOL.9 小堀宗翔さん </font><br><font size = "2">「明珠在掌」宝物は外の世界ではなく、あなたの掌の中にある </font>
No.8 小堀宗翔さん/遠州茶道宗家13世家元次女 NAGIEを応援して下さる皆さまに、自身の“サステナブルライフ”について伺うインタビューシリーズ。第9回目は、「茶道」と「スポーツ」の融合、発展をテーマに幅広く活動される若手女性茶道家、小堀宗翔さんの“サステナブルライフ”に迫ります。  --------------------------------------------------------------------------------------------- 小堀宗翔(こぼりそうしょう)さん 遠州茶道宗家13世家元次女/元ラクロス日本代表 1989年生まれ。遠州茶道宗家13世家元小堀宗実氏の次女。学習院大学卒業後、内弟子として茶の湯の道にすすむ。小学生から高校生まで剣道、大学からラクロスをはじめ、2011年U22日本代表、2013年日本代表に選出された。現在は自身の経験を活かし「茶道」と「スポーツ」の融合・発展をテーマに幅広く活動中。親しみやすいキャラクターで若手女性茶道家として各界より注目を浴びている。 ---------------------------------------------------------------------------------------------   1.スポーツを通じて学んだ、「基本の”型”、目標に向かう過程があるからこそ、自分らしく輝ける」ということ ー 日本を代表される茶家でありながら、ご家族全員がスポーツに勤しむご家庭だったとお伺いしています。そういった環境下で、お茶×スポーツを通じて学ばれたことはありますか? 我が家の根本的なルーツを辿ると、流祖である小堀遠州が武家茶人なんです。お茶とラクロス、一見かけ離れているように思えるかもしれませんが、武士であり茶人であった祖先を思うと、スポーツは戦とも言われますし、皆DNAとして、潜在的に戦う気質を持っていたのかもしれませんね。またスポーツは、勝つか負けるかしかなく、如何に1点でも多く得点するか、1等や2等という順位や、〇か×かが非常に分かりやすい世界です。日本一にはたった1人、1チームしかなれないし、他は全員敗者ということになります。 ただそこで、茶道の世界では「満つれば欠くる」と言うのですが、満月はまん丸で美しいが、翌日からは欠けていく運命にあり、寧ろ少し寂しさを感じる。一方、満月の前日のお月さまというのは、肉眼で見てもほとんど真ん丸、一番生命力に溢れていて、力強く輝いている、という考え方です。 究極の「勝ち」のみを追い求めるのではなく、目標に向かって努力するアスリートの姿こそが美しいと思っています。勿論、やるからには結果には厳しい家庭なんですけどね。   ー 実際、剣道でもラクロスでも、素晴らしい結果を残されていますね。普段スポーツに取組む中で大切にされていること、メンタリティはありますか? これも茶道と通ずることなのですが、”型”の部分です。素振りや練習を何回も重ね、まず基礎となる型を身に着けてこそ、型破り、つまり自分独自の打ち方やシュートなど、自分らしさがどんどん出てくるものだと思います。 スランプに陥った時などにも、立ち返れる型や場所があるのはとても大事なこと。茶道では1から10まで基本の型が決まっているのですが、これは私にとって、茶道の幅を広げる為に大切なことなんです。現在茶道のお仕事を通じて、新しいことや異分野とのコラボレーションなどを行っていますが、茶道という確固たる合理的で美しいものがあるからこそ、色んな挑戦ができています。最近は自由の時代ともよく言われますが、茶道やスポーツに限らず、ベースとなる型が無ければ、本質的な意味での自由にもなれないと思っています。   ー 社会人、そして遠州茶道宗家の内弟子となられてからもラクロスを続けていらっしゃったのには、どういったお考えがあったのでしょうか? “成長できる場所があったこと“ですね。ラクロスという競技自体が今も変化を続けるスポーツなので、そこに自分の身を置くことや、勝ち負けや結果を求める中で喜怒哀楽の感情にぶつかる中でも、日々成長を実感できていました。 また、ラクロスはチームスポーツであり、仲間と衝突することも、一緒に努力をする過程も、1つひとつが充実していて、自分のかけがえのない拠り所になっていました。   ー 今年1月に現役を引退されています。ご自身の考え方、生き方のベースをつくってくれたスポーツの世界から、一度引退されるご決断は大変なものだったのでは...。 そうですね。これまで毎年、去年を超えないと成長できないとの思いで、社会人生活10年間をアップデートし続けてきました。今年の始め、体力、気力、努力をもって去年を超える自分になれるか真剣に考えたのですが、今のままでは難しいと感じたんです。100%超えられる自信が無い中、中途半端な覚悟でチームに所属するのは自分が許せなかったのと、お茶の仕事の幅を広げたいとの思いもありました。 ラクロスがあったからこそできたこともあり、今まではラクロスありきでの充実した日々でしたが、今後はまた少し別のところに軸を置き、今までにない出会いや挑戦を得ていきたいと考えています。   2.お茶や茶室は、自分と現実世界を写す、小世界 ー 幼いころから活発だったという小堀さんですが、幼少期はどのように茶道と接していらっしゃったのでしょうか? 本当に自由に生活していましたね。スポーツ大好きで、小学校から剣道に励み、家の中より外にいることの方が多かったです。ただ年間を通じて、節句のタイミングや家族のイベントなど毎月何かしらの行事があり、親族が集ってお茶を点てていました。着物を着て、お菓子やお茶を運んだりのお手伝いをして、全員でお話をして...。 当時はそこまで深く考えられていませんでしたが、四季や日本の文化を感じられる茶室があったこと、親族で膝と膝を突き合わせ、小堀家としての自覚を取り戻すような機会があったことは、とても貴重な時間だったと思います。   ー 幼いころから現在に至るまで、茶道の世界に身を置かれる中で学び、大事にされていることはどんなことですか? 沢山ありますが、「明珠在掌」という言葉を大切にしています。この言葉は正に、「宝物は、外の世界ではなく、あなたの掌の中にある」という意味です。...
<font size ="2">NAGIEジャーナルVOL.8 銅冶勇人さん</font><br><font size = "2">肯定し合える環境の中で、一緒に物差しを創っていく事の大切さ</font>
No.8 銅冶勇人さん/実業家 NAGIEを応援して下さる皆さまに、自身の“サステナブルライフ”について伺うインタビューシリーズ。第8回目は、アフリカにおける雇用創出等を目的に自社生産工場を運営するアパレルブランド“CLOUDY”の代表として活躍される銅冶勇人さんの“サステナブルライフ”に迫ります。 --------------------------------------------------------------------------------------------- 銅冶勇人(どうやゆうと)さん アパレルブランド「CLOUDY」/NPO法人「Doooooo」代表 1985年、東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、2008年ゴールドマン・サックス証券株式会社に入社。2010年にアフリカでの教育活動等を行う特定非営利活動法人「Doooooo」を創立。2014年に同証券会社を退職し、2015年株式会社DOYA創立。同年9月にアパレルブランド「CLOUDY」を創立。日本各地でポップアップショップや様々なコラボレーション企画を展開するとともに、定期的に学校でアフリカについての講義を行う等、啓蒙活動も続けている。 ---------------------------------------------------------------------------------------------  1.広く関心を持ち、深く想像することで自分の幅が広がる ーアメリカンフットボールに出精されていた学生時代。スポーツを通じて学び、今でも大事にされているメンタリティはありますか? 誰よりも努力する、日本一を目指すなどの言葉はよく耳にしますが、スポーツに打ち込む限りそれは当たり前のこと。そういった綺麗な言葉ではなく、何のためにこの練習をしているのか、そもそもなぜ全員で勝利を目指すのかなど、常に1歩踏み込んで”Why”を問うことを大事にしていました。そうすることで、気付かぬうちに自分のエゴだけで突き進んでしまうことを避けられると思うんです。 もう1つは、他人の立場になって考えること。ずっとレギュラーだった自分は、怪我で試合に出られなくなった時、他の選手が試合で活躍するのを見るのが苦痛で仕方がなかったのですが、その時初めて試合に出られない人の気持ちや役割を理解しました。チームには、試合に出て勝利に貢献する人、チームをマネジメントする人、選手を裏側で支える人、色んな立場の人がいる。それぞれの立場を考えて動ける人が増えれば、スポーツに限らずチームは強くなると思いますし、今も常に意識しています。     ー 一つのことに没頭すればするほど、思いが強くなればなるほど、周囲への意識や配慮を持ち難くなってしまうこともまた事実だと思います。 そうですね。ただ、人は1人で生きているわけではなく、常に誰かしらに影響を受けているものです。時には自分が、すごくとりとめもなく上司に怒られたりすることもある。そういった時にこそ、相手にもいろんな人間関係や立場があり、事情があり、状況があることを想像することが大切だと思います。 怒る側にも理由があって、怒られる側にも理由がある。人の全ての言動や何かしらの結果には、必ず理由があるということをちゃんと理解、意識できているかどうかで、物事の運びは大きく変わってくると思いますね。 また、昔からそうなのですが、一つの事に没頭することへの美学はあまり感じていないタイプです。一つの事に一生懸命取組むのは大事なことですが、ある意味当然のことで、私にとっては正ではない。それ以外の事に関心を持ち、感じ、勉強してみたりする。それが自分の中の幅を広げ、見分を深める事に繋がる。次第に、スポーツも勉強も仕事も、それぞれが良く影響し合うようになってくる。そうやって常日頃から色んなことに関心を向け、固定概念を持たないようにしていると、自然と、広く心に余裕のある物事の見方ができるようになると思います。   ーアフリカに関心を持たれたのも、そうやって幅広くアンテナを張り、常に余白を持っていらっしゃったからなのですね。 幼い頃からスポーツに関心があり、プロ野球の選手名鑑を見るのも好きだったのですが、そこに出てくる外国人選手がとても格好良く見えました。その後もオリンピックやNBAなどで活躍する海外の選手、特にアフリカ系の選手に憧れを持っていました。 中学生の時には、Boyz Ⅱ Menを切っ掛けにブラックミュージックにはまり、そこで音楽の世界の深さに触れました。音楽を通じて、遠いアフリカの文化や歴史を感じたんです。そんな中、図書館で偶然開いた民族に関する写真集を見て改めて、世界には色んな人種の人がいて、様々な生活の形があることを知りました。 自分とは全く異なる文化の裸族のような人たちや、身体にペイントをする人たちもいる。実はそのペイント1つひとつにも深い意味があり、生活の端々で古くから受け継がれる伝統が重んじられている。こんな世界があるんだな、いつか行ってみたいなと思っていて、大学の卒業旅行で初めてアフリカに行き、マサイ族の方のもとにホームステイをしました。   2.忙しさや難しさは理由にしない。人と人との関係性の中で形にしてきたこと。 ー 人として、そして関心の幅も広かった銅冶さんが、外資系金融をファーストキャリアに選ばれた理由は? 子供の時からとにかく人に喜んでもらうのが好きで、始めはテレビ局に就職するつもりでした。自分自身も人生の中で色んなものに楽しませてもらってきました。家族や友人、先生、スポーツ、音楽...、色々あるが、中でもテレビの存在が大きかったんです。常に新しい情報、笑いが詰まっていたのがテレビで、いつか自分も制作に携わりたいと思っていました。 実際テレビ局から内定も頂いたのですが、就職活動は社会を広く知るチャンスだと思い、「すごい会社がある」と聞いていたゴールドマンサックスを受けました。金融も証券会社のことも良く分かっていなかったのですが、数十名の現場社員の方々と面接をする中で、全員が同じ方向を向き、高い目標を持ち、結果に強くコミットしている姿勢に惹かれていったんです。 お金、地位、名誉、ライフワーク...、人それぞれだったが、”上に上に登っていきたい”という目的意識は全員共通していて、「まぁこの程度でいいかな」といった中途半端な事をしている人が1人としていない。実際入社後は、毎日試合をしている感じでした。   ー 多忙とプロフェッショナルな人々の中での苦労は相当なものだったのでは...。 当時はブラインドタッチもExcelも全くできず、英語も英検4級レベル。1人では何もできない中考えたのは、周りの人々にどうやって気持ちよく、柔軟に動いて頂けるかということでした。 「PCで資料作成したことさえないなんて、能力がなくてダメだ」ではなく、「今は未熟だが可愛いやつだ、銅冶くんだから助けてあげるよ」という関係性にもっていけるかどうか。その代わり他人ができないことは誰よりも自分が率先してやり、1秒でも早く、タメ語を使い合えるくらいの相互補完の間柄をつくれるようにしていました。   ー...
<font size ="2">NAGIEジャーナルVol.7 前田眞郷さん</font><br><font size = "2">スポーツ・ビジネスのトッププレーヤーが気が付いた、「余白」の大切さ</font>
  No.7 前田眞郷さん/プロアスリート・実業家 NAGIEを応援して下さる皆さまに、自身のサステナブルライフについて伺うインタビューシリーズ。第6回目は、現役アスリートとスタートアップ経営者、2つの顔をもち活躍される前田眞郷さんのサステナブルライフに迫ります。  --------------------------------------------------------------------------------------------- 前田眞郷さん 株式会社Revive代表取締役/アメリカンフットボールチーム・オービックシーガルズ所属 高校までは野球一筋、強豪校で4番を打つ等して活躍し、大学入学後アメリカンフットボールをスタート。競技歴1年で日本代表、U-19世界選抜選出。U-23世界選手権では銀メダルも獲得。大学卒業後、入社した商社を3カ月で退職し、プルデンシャル生命保険に転職。史上最年少で社長杯に入賞する等活躍したが2018年に退職し、株式会社Reviveを設立。オービックシーガルズには2016年から所属し、現役プロアメフト選手と経営者、2足の草鞋で躍進を続ける。 --------------------------------------------------------------------------------------------- 1.「自らの強みを活かし、着実に功績を残す」をモットーに。 ー 野球にアメフト、トップアスリートとして活躍されていた学生時代。スポーツや自分自身に向き合う中で、どんなことを感じ、学んでこられたのでしょうか? 小学2年生で始めて約10年間、高校を卒業するまで野球一筋でした。きっかけは親だったかもしれませんが、常々自分の能力を表現でき、それが認められる環境が素直に楽しかったです。良いプレーをして注目される、強豪校で4番を打つ、有力大学からスカウトを受けるなど、着実に成功体験を積み上げていく楽しさを学びました。大学からは新しいチャレンジをしたいと思い、アメフトを始めました。自分の強みを活かせて、且つ功績を残せる場所はどこかという軸で選びました。人それぞれに自分の能力が活きるフィールドがあると思うのですが、僕にとってはそれがアメフトだったんです。 ー アメフトは大学からとのことですが、当時日本一にもなっている有力チームで1年目からレギュラーに、そして日本代表にも選出されていますね。すぐさまトッププレイヤーとなれた秘訣は何だったのでしょうか? まずは一番上手い人とだけ過ごし、彼らだけを見て、徹底的に模倣していました。そしてやはり、その中で見えてきた自分の強みを的確に認識し、その強みと努力をライトパーソンにアピールする場をつくったんです。元来負けず嫌いで自分の成長欲求に素直な性分だったので、辛くはなかったですね。ある意味徹底的にエゴイストになって、「前田が活躍すればチームが勝てる」とまで思ってもらえるくらい、個として突き抜けました。誰が見ても必要不可欠な存在になれるように。 ー 素晴らしいですね。一見順風満帆なアスリート生活ですが、スポーツを通じてぶつかった難しさや苦しさはあったのでしょうか? 大学4年生でキャプテンになった時に、チームを纏め、統率を取る難しさを痛感しました。人の感情や立場を理解することが出来ていなかったんでしょうね。技術レベルも、アメフトに対する姿勢や目指す目標の高さも自分の基準が当たり前。モチベーションも、プレー技術や強みも人それぞれのはずなのに、自分と同じ目線で人にも求めてしまっていたんです。今あの立場に戻ったら出来ることは沢山あると思いますが、当時は自分の目標実現が最優先。人と協力し合う楽しさを知ったのは社会人になってからでした。 ー フィールドがビジネスに移ってからもトップサラリーマンとして活躍されていましたが、どんなモチベーションでお仕事をされ、どういった経緯で協調の大切さに気付かれたのでしょうか。 やったらやった分だけ自分に跳ね返ってくるような、厳しくも自分を鼓舞する、成長させる環境に身を置きたいと思い、プルデンシャルに入社しました。当時22歳で一番若くマーケットも何も持っていない真っ新な状態だったのですが、トップアスリートとしての経験から、無駄に自信とプライドがありました。ただ、自分の予想を遥かに超える努力と実績を残し、その基準を僕にも求める先輩方と接するなかで、すぐにそのプライドはそぎ落とされたんです。ハードでしたが、単に厳しいだけでは なく、1on1で確り僕に合わせた育て方をしてくれる先輩。先輩後輩関係なく全員で高め合う文化。この環境下でビジネスマンとしてのスキルが担保され、スポーツの時とはまた異なる成功体験ができたことが、とても楽しかったですね。   2.プツンと切れた糸。気が付いた「余白」の大切さ。 ー ビジネスマンとしても着実に実績を積み上げつつあったと思うのですが、その後会社を辞めて自ら起業するに至った背景は何だったのでしょうか。 「行けるとことまで成長したい、その対価として稼ぎたい」といったプルデンシャルでの目的が達成してしまった時に、糸がプツンと切れたように、急に心が着いて来なくなった。ふと、自分は何のためにこんなに働き稼いでいるのか考えた時に、何もなかったんです。自分は一生この働き方をしていくのか?自分は今度どう生きたいのか?と半鬱になりながらも自分と向き合ったり、信頼できる人に助言を求めたり、数ヵ月悩み続けました。それまでずっと走り続けてきたので、一度立ち止まって考えるのはとても辛い時間だったけれど、この余白が無ければ、自分の人生を振り返るきっかけもなかったと思います。盲目的に、ストイックな成長を追い求めていくことだけか人生じゃないと思えるようになったのはその時からです。 ー 再度アメフトを始めたり、起業を考えられたのもその時からでしょうか? そうですね。元日本代表でもあるプロサッカー選手で、友人の杉本健勇さんの存在が大きかったです。当時川崎フロンターレに所属していた彼から、サッカー以外でもチャレンジする場を持ち、自分の仕事でしっかり稼げるようになりたいと相談を受けました。当時はまだそういった選手が表立って出てきている時代ではなかったのですが、その考えに刺激を受けました。確かにアスリートは、競技の種類にもよりますが、収入は実績に左右されるため不安定で、ケガなどで突然選手生命が断たれる危険性もあります。加えて、アスリートが第一線で活躍できる期間は短く、引退後に解説者や指導者になれるのはごく一部、セカンドキャリアの模索に苦労する人は非常に多いです。そこで、まずは自分自身がその体現者になり、「アスリートの新しいスタンダードを創る」をミッションに掲げるReviveという会社を立ち上げました。 ー その頃には、生活の拠点も東京から鎌倉に移されていますね。 ライフスタイルや仕事に少し余裕ができた時に、鎌倉に引っ越しました。仕事の肩書や物質的な豊かさ等のフィルターを通してではなく、その人自身の人生や価値観を尊重して互いに認め合える鎌倉の人たちと接するなかで、兎に角突き進んで得られる物質的な豊かさだけでなく、ある種余白の中から生まれる精神的な豊かさを実感しながら生活できるようになりました。東京で忙しく過ごしている時と比べ、生活も洋服もシンプルになっていきました。 3.シンプルだが、そのなかで本質を追い求めるNAGIEと、人生の第2ステージにいる自分の生き方がシンクロした。  洋服が好きだったので、もともとは欲しいものがあれば買い、いらなくなったら捨てるを繰り返してきたのですが、鎌倉で過ごすなかで、良い意味で必要以上に見た目ばかりを気にすることが無くなり、また洋服を買う前には、洋服を着る意味やシチュエーションごとの服装の必要性をしっかり考えるようにもなりました。そんな時に知人を介してNAGIEを知り、シンプルで機能的なデザインも気に入ったし、お話を聴いて、モノづくりへの拘りやなぜこれをやっているのか、その先にどういう文化を作っていきたいのかを感じることも出来ました。プロダクトと姿勢、その両方に共感できたことと、アスリートと経営者の2つの顔をもって生きる、ビジネスマンとして第2ステージにいる今の自分にピッタリの洋服だと感じました。 ー ありがとうございます。最後に、今後前田さんが大切にされたいこと、そのうえでNAGIEと一緒にやってみたいことがあれば、教えて頂きたいです。 大切にしたいことは非常にシンプルです。自分の心に従って、自分に素直に生きていくこと。これは今後も変わらないし、家族にも周りの人にもそうであって欲しいと思います。それ以上でも以下でもない。NAGIEは洋服を通じて何を伝えるかを大事にしていると思いますが、ブランドや洋服があることで、同じような価値観のコミュニティを大きくし易いと感じています。目の前のことだけに追われてしまったり、他人と比べて劣等感に苛まれたりする人が多い現代社会の中で、物質的な豊かさや人からの評価ではなく、自分の心に素直に、自分の心に余白を生み、本当の人生の豊かさを説いていける取組みを、NAGIEと一緒にしていけたら良いなと思います。  
<font size =  "2">NAGIEジャーナルVol.6 日本環境設計</font><br><font size = "2">共に“循環型社会”を目指す!NAGIEのパートナー「日本環境設計」の北九州響灘工場を訪問</font>
No.6 NAGIEのフィロソフィーの1つである“Recycling System(循環させるブランドを目指す)”という想いは、日本環境設計株式会社(以下:日本環境設計)の存在がなければ成し遂げられません。再生素材の活用、そして不要になった服の再資源化を目指すNAGIEにとって、日本環境設計は再資源化を託すパートナーです。今回、NAGIEのアンバサダーを務めるモデルの諸橋コウタさん、出岡美咲さん、そして新たにNAGIEが目指す循環への思いに賛同してくださったアパレルブランド「ETRÉ TOKYO」のクリエイティブ・ディレクターJUNNAさんと共に、福岡・北九州市にある日本環境設計の北九州響灘工場を訪れました。取締役会長の岩元美智彦さんに、リサイクル事業を立ち上げた想いや高いリサイクル技術、そしてNAGIEとの取り組みについて伺っています。 世界有数の技術を有する日本環境設計の「再生ポリエステル製造事業」 日本環境設計は、“服から服を作る技術”を有する「再生ポリエステル製造事業」を柱にした先進企業。“あらゆるものを循環させる”のビジョンを掲げる同社の北九州響灘工場は、循環型社会を目指す企業や大学の研究所が集まる「北九州エコタウン」の中にあります。すべてに再生素材を使うことで環境にやさしい服を届ける、そして不要になった服を再資源に変えていくNAGIEの大切なパートナーです。 服の大量生産と大量廃棄が、環境汚染へとつながっていることをご存知でしょうか? 日本では年間約30億枚の服が生産され、そのうち約半分の15億枚(100万トン以上)が焼却や埋め立て廃棄されています。 この問題を解決する糸口のひとつが、衣料品の約60%に使用されているポリエステルを再生利用すること。その再生技術を持つのが、今回訪問した日本環境設計です。不要になった衣類を回収し、そこからポリエステル繊維を分解、さらに脱色・生成して、もう一度ポリエステル繊維の原料であるポリエステル樹脂を製造。非常に高い技術が求められる“ケミカル・リサイクル”を実現する世界有数の技術を開発しています。 こちらは、資源として回収された衣類をリサイクル方法に応じて選別を行うソーティングセンター。月に約40トン届く衣類を、複数人のスタッフで仕分けしています。その後仕分けした衣類は倉庫に運ばれ、ポリエステル樹脂に生まれ変わる時を待ちます。 そのほとんどを自社で設計して構築されたこの大型の装置が、再生ポリエステル樹脂を作り出します。ポリエステル以外の繊維が混じっていても、そこからポリエステルを解重合(分解)する技術があり、ボタンやファスナーなどが付属している衣類からもポリエステルを抽出して再生できることが大きな特徴です。 お米のような粒状になっているものが、不要な服から新たに作られた再生ポリエステル樹脂。この樹脂200〜250グラム程度で、Tシャツ1枚分相当の繊維になるそう。NAGIEがお客様から回収したアイテムも、この再生ポリエステル樹脂に転じていきます。 お話を伺う中でアンバサダーのみなさんが驚いていたのは、冷蔵庫やテレビといった家電製品の廃棄量が年間約65万トンなのに対し、衣類の廃棄量は年間100万トン以上であること。カーテンやカーペットといった繊維製品を合わせると、その量は200万トンにもおよぶと言われています。 環境にやさしい循環型社会の実現のため、家電リサイクル法(2001年4月施行)や食品リサイクル法(2001年5月施行)といった数々のリサイクル法が施行される中、繊維製品はこれだけ大量に廃棄されながらも、法の制定には至っていない現状があります。そんな中、日本環境設計の『再生ポリエステル製造事業』は、繊維リサイクルのパイオニアとして業界をリードする存在です。 資源の再生活用は“平和”にもつながる?未来の子どもたちのためにできること 家庭から出るゴミを分別回収して再資源化を促進する、容器包装リサイクル法(1995年6月公布)の制定に尽力したという岩元会長。回収されたペットボトルから繊維を作り出し、それを服にすることまではできるものの、その服が不要になった際に、焼却・埋め立て廃棄である末路に直面しました。そこで、一方通行で終わるリサイクルではなく、2周3周と“循環”していく仕組み作りに興味が湧いたと言います。 “服から服を作る技術”の良いところは 焼却処分をしないため、地球温暖化につながるCO2の排出を削減できること。そして、大量の水や石油など新たな資源を使わないことにあります。ポリエステル繊維は石油(地下資源)が原料ですが、地下資源の争奪が世の中の混乱につながっている側面があることは否定できません。 「国内外に技術を探してもなかったので、一緒にやる仲間を見つけて技術開発や仕組み作りをしようと日本環境設計を設立しました。10回でも100回でも1000回でもリサイクルできるのがポイント。そして、新たな資源を使わないので戦争やテロをなくすことを目指せる……。実はこういうコンセプトの工場なのです」(岩元会長) 日本環境設計は2015年、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズに登場するゴミを燃料にしたタイムマシン“デロリアン”を、不要になった衣類から生成したバイオ燃料で走らせるイベントを実施し、大きな注目を集めました。このイベントが実現できたのは、資源の再生活用が平和につながるという想いが、ハリウッドにも伝わったからだと岩元会長は振り返ります。 「未来の子どもたちのために何ができるのか? やっぱりこの地球を長く存続させたい。一番大切なのは循環型社会をつくることです」と、熱い想いを語りました。 “リサイクル技術”と“ファッション”の両輪で叶える循環型社会 どんなに素晴らしいリサイクル技術があっても、「着たい!」と思ってもらえるオシャレな服を作らなければ循環は生まれない。高いデザイン性が、目指すべきゴールへと向かう歩みを加速させる——。岩元会長もNAGIEも同じ方向を見ています。 「リサイクル素材だから買うのではなく、素敵だなと思ったらリサイクル素材でできていたという流れにしたい。ですから“リサイクル技術”と“ファッション”の両輪が必要です。この2つがあって、ファッション業界のリサイクルが進むと思っています。この課題は1社では実現できませんので、みなさんと楽しく力を合わせて発信していくことが大切です」(岩元会長) この訪問を通して、NAGIEの“循環させるブランドを目指す”という想い、そしてそれに賛同してくださるアンバサダーのみなさんの想いが、さらに強固なものになったと感じます。NAGIEを統括している茨城は、「ムーブメントではなく、新しい当たり前を作っていきたい。日本環境設計さんの技術は切っても切り離せないものなので、ぜひこれからも一緒に取り組ませていただきたいです」と、共に“循環型社会”を目指すパートナーとしての想いを伝えました。
<font size ="2">NAGIEジャーナルVol.5 TAMAOさん</font><br><font size = "2">大切なことを教えてくれた海を、美しいカタチで残したい</font>
No.5 TAMAOさんヨガ講師/NLPマスターコーチNAGIEを応援するアンバサダーのみなさんに、自身の“サステナブルライフ”について伺うインタビューシリーズ。第5回目は、ヨガ講師、NLPマスターコーチとして活躍するTAMAOさんの“サステナブルライフ”に迫ります。 愛する海のために、みんなでアクションを! TAMAOさんと過ごす中で印象的だったのは、海に向かって一礼してから入水する凛としたその姿。サップヨガやサーフィンのほか、4~5年前からはフリーダイビングをしているというTAMAOさんが、海に対して敬意を払っていることが伝わる瞬間でした。「海は、潜れば潜るほど怖いです。ただただ呼吸だけをして無にならないと深くは潜れません。心を凪にできている日は深く潜ることができて『生かされているな~!』と実感できますし、恐れを取り除くと海との一体感を得られ、人間の小ささを感じます。そして、自分の力を過信して海に挑むと、怪我をしたり怖い思いをしたりします。それは、謙虚でいなさいと海が教えてくれているのです。海でも日常でも、いつも『ありがとう』の気持ちを持つことの大切さを思い出させてくれます」海を愛しているからこそ、このままでは2050年にはプラスチックの数が魚の数を超えてしまうと言われている海洋汚染にショックを受けているTAMAOさん。お子さんを授かったことで、“美しい海を残さないといけない”という思いがさらに強まったと語ります。より多くの人たちと活動をシェアしたいと思っていたことから、NAGIEと共に歩むことを決意してくれました。   心を凪にして、自分と周囲に“革命”を起こす   「一人ひとりが心に余裕を持てるように、自分に意識を向けることもサステナブル。心がニュートラルの状態になれたら、地球がいい方向になっていくと信じています。心に余裕がないと環境問題に目を向けることもなく、ゴミが落ちていても気がつかないものです。まずは自分自身を愛で満たすことが必要ではないでしょうか」TAMAOさんのアンバサダーとしての目標は、NAGIEと一緒に環境問題について学びながら、それを周りにシェアすること。そして、“セルフラブ”のワークショップを開催すること。「愛で満たされた人が、さらには自分の大切な人を愛で満たすような循環をつくることができたら最高! みなさんと手と手を取り合ってアクションを起こしたいです!」と、真っ直ぐな思いを口にします。TAMAOさんが今の世の中に必要だと考えていることは、それまでの固定観念や価値観を見直し、新しいチャレンジを起こすことができるかどうか。「コップを新しい水で満たすためには、今ある水を潔く手放す勇気を持つことが大切です。心のコップの水を循環させること——。このコロナ禍においても、正解がわからないながらも新しいことを始めている人は前に進んでいると思います」そう語るからこそ、アパレルの常識に疑問を投げかけ、新しいアクションを起こしたNAGIEに深く共感してくださいました。心を整え、環境問題をはじめとする社会課題と向き合う人の輪を広げたいというのが、TAMAOさん自身が循環していくために自らに課したミッション。ぜひTAMAOさんとNAGIEの今後のアクションにご注目ください。